(日文ニュース)経済の巨星達をに道を聞く
人間には、各自与えられた道が存在する。
誰も代わりに、歩んではくれない。だから、自身だけが、歩むことが出来る。そして、二度と歩めない道。時には、登り道があったり、時には果てしない下り道でもある狭くとも、広くもある変化無双の道。春、夏、秋、冬のように喜怒哀楽が循環するパノラマの道。なぜ、歩くのかなければならないのか?どこまで、行けば良いのか?知ってるようで知らない不思議な道。ここに、隣人の道を意識したり、意味合いをもって大きな道を進もうとすれば、道はいつの間にか春風のごとく、消え失せ、冷たい風がその道を塞いだりもする。
喜怒哀楽の代表的な人生道を常如何なる時も、興亡を煩悶する大商人達の道であろう。企業報国の大意を抱き60年以上、息をつく暇もなしに忙しく、走ってきた韓国の企業家の人生パノラマそれ自体だ。本来企業家とは、孤独な存在だ。数多くの逆境に遭遇しながら、自身の考えを諦めてしまいと思うものだ。度重なる崖っぷちの状況とぶち当たり、休む暇なく、思索し、煩悶するしかない。「経営の神」と呼ばれる、日本の松下幸之助(1894~1989、松下グループ創業者)は、日本の京セラグループ稲盛和夫(78、京セラ名誉会長)の初年時期に「経営は思考」だと助言した。
いつの日か、この地から消えてゆく企業家精神を蘇らす為にも、韓国を代表する大きな企業家たちの魂と思想を理解するのも意味があると言えそうだ。 湖巌(ホアム) 李秉喆(イ・ビョンチョル)会長、峨山(アサン)鄭周永(ジョン・ジュヨン)会長、蓮庵(ヨンアム)具仁會(グ・インフェ)会長、SK崔鍾賢(チェ・ジョンヒョン)会長…資源と資本、人材が貧弱な韓国で企業家の道を歩んできた彼らの苦悩と思索の深さは並大抵ではないはずだ。彼らの思索は、今日の後輩企業家達は勿論のこと起業を夢見る青年達にも座標になるだろう。
ちょうど、2010年はサムスンの創業者、ホアム・イ・ビョンチョル会長の生誕100年を迎える年だ。韓民族には、屈辱的な韓日合併100年の年でもある。資産300兆ウォンに売上200兆ウォン規模に大きく育ったグローバル韓国企業「サムスングループ」1938年サムスン商会(サムスン物産の母体企業)を創業した企業家ホアムが歩んできた道は果たしてどのような道だったのか?一言で表すとするならば、高度の圧縮成長を求めてきた韓国経済の縮小版と言えるだろう。
韓国1位企業の座を巡って、現代、大宇と争ってきた変化無双の道でもあり、日帝強占と6.25戦争で疲弊した国家がG-20国家として上り詰めるのに一役買った不思議な道でもある。1948年サムスン物産公社を初めとして、1953年第一製糖(ジェイルジェダン)、1954年第一毛織(ジェイルモジック)を相次いで創業し、ホアムは巨富の序列に入ることになる。1969年サムスン電子を筆頭にサムスン石油化学、サムスン重工業、サムスン半導体を設立し、彼はグローバルサムスンの礎を築いた。50年の企業家人生を遂げた1987年まで、ホアムは残りの青春の情熱を燃え滾らせた。サムスン航空とサムスン総合技術院、サムスン経済研究所の設立がまさにそうだ。
1986年6月27日、サムスン総合技術院起工式でホアムが明かした科学報国の変は、宗教的信念に近かった。
「科学技術は知識と力の結合であり、道の境地、そして、さらに高い頂上に人間を導く無限探求の世界だ。永遠なる技術革新と最先端技術開発に対する果敢な挑戦こそが、資源貧困国家である韓国が生き残る道だ。それは、国家と民族の隆盛を約束するものだ」。
ホアムは死を前に、世の中の先頭を走ると言う挑戦を最後として、火花を咲かせたのだ。ホアムの科学報国は李健熙(イ・ゴンヒ)会長の創造経営と危機経営、グローバル経営として受け継がれ、綺麗に満開したのだ。如何なる人も、否定する事ができない世界一流企業「サムスン」を昇華させたのだ。
ホアムの思索と煩悶の中で、誕生した経営哲学は「論語経営」と「一流経営」として圧縮される。かれは、1910年2月12日、慶州南道宜寧郡正谷面中橋里で生まれた。ホアムは5歳の時から兄を慕い、学問の道を歩んだ。早朝から裏山の細道を歩き、漢学書壇「文山丁」に向かった。ホアムが後世で人生の中で一番感銘を受けた本を孔子の論語を上げたのは、ここにルーツがあると思われる。ホアムは東洋の伝統思想と人材経営に西洋の合理思想と科学技術を合せ、グローバルサムスンの跳躍を下準備を整えた。
ホアムの論語経営は、日本財界の父と呼ばれる、渋沢栄一(1840~1931)の経営哲学にも通じる。彼は日本の明治維新以後、論語思想を基礎に500社余の企業を起業した日本資本主義の創始者と言えるだろう。渋沢は「片手に論語を、片手にはそろばんを」と言うソローガンのもとに企業の社会的責任を強調した。「道徳と経済は一つ」と言う、やや矛盾して見える主張だが、彼は「正しく稼いだお金を正しく使う事が、誠、国家と社会に貢献する道」だと主唱した日本の経済思想家だ。
ホアムが一流経営に目覚めたのは、1960年。イ・ビョンチョル会長は59年に米国訪問を終え、帰国の道で暴雪のためにソウル行きの飛行機に乗り換える事が出来ず、日本の東京のあるホテルで新年を迎えた。当時、日本のTV放送は世界政治、経済、軍事、文化を展望する新年の座談プログラムを放映していた。彼は、ここで構想中の肥料工場の技術や、借款の導入方法までもを知るようになる。ホアムは亡くなる直前の1987年の正月までも、「東京構想」をするようになる。
言うなれば、「東京」と言うグローバルな窓を通し、世界一流企業の夢を夢見たのだ。その後、ホアムは日本の経済の友と「傾聴」と「疎通」の友情を積み重ねながら、日本企業に追いつく事を目標にした。土光敏夫(1896~1988・前東芝会長、経団連会長)、 稲山嘉寛(1904~1987・前新日鉄会長、経団連会長)、瀬島龍三(1911~2007・前伊藤忠商事会長)は代表的な思索同士であり、グローバルパートナーだった。彼らとの交流で事業報国と一流経営というホアム特有の経営哲学を完成することになる。
生誕100周期を迎える、ホアムの経営哲学は21世紀韓国経済に新しい道を切り開き、催促する意味を持ち合わせている。これは、他ならない、企業家精神の情熱と魂を回復するということだ。これから先に、より創造的な経済として、完璧に衣替えすることなのかもしれない。サムスンの完璧主義が世界最高企業を作ったが、創造、発明企業は作れていないからだ。創造的でありながら、人間のそのままの面白みがある世界最初、最高の発明品は人間の失敗を許し、受け止められる、自然そのままの温柔さから、始まるからだ。
100周年記念事業のために、新しい飾りつけで勤しんでいる、慶州南道宜寧郡正谷面中橋里の「ホアム道」を歩きながら、ふと老子の「道家思想」を思い浮かべた。
「宇宙に存在する全てのものは、常に生産され、休む暇無く発展する。万物が日々新しくなり、生成され発展sる事は、自然の道理だ」。
全てのものは、常に変化するという考えは、企業には終り無き、イノベーションが必要だという心理に近い物がある。韓国経済とサムスンは、この時点でグローバル金融危機の反射的成果にとどまるだけでなく、21世紀の予測不可能な科学と文化の「創造の海」で謙遜かつ断固な姿勢で進む必要がある。
今日の大韓民国の課題はホアムを初めとした、この国の「経営の神」達の精神を韓国経済の創造精神で昇華させ、名実共に世界の経済リーダー国になることだ。インドの詩人ダゴールは、この様な日が来ることを信じ、韓国を「東方の明かり」と読んだのであろう。
人文白・hcn@ajnews.co.kr
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